↑ 上2枚のA-7D/71-0343 & 69-0213は、1981年9月フェニックス市のスカイハーバー空港で撮影されたもので、すっかりオーバーラル・カモフラージュに変更されている。

私は、A-7がA-4と共に最も好きな飛行機の1つなのだが、日本では米海軍のA-7は見れても、米空軍のA-7Dが飛来することは極めて稀だったので、当然、私には撮影のチャンスは訪れなかった。1978年のチームスピリッツにルイジアナ州イングランド空軍基地から23rd TFWのA-7Dが韓国に飛来した際、嘉手納基地に飛来することを期待して出かけてみたが、A-7Dは姿を見ることさえ出来なかった。

ベトナム迷彩を身に纏ったA-7Dは、海軍のものとはまた違った魅力があったのだ。米空軍は海軍用にチャンスボート社がA-7Aを開発当初から、戦闘爆撃機の後継機としてA-7に着目し、海軍とほぼ同時期にA-7の採用を決めている。海軍のA型とは異なったロールスロイス社スペイエンジンを採用、初めてヘッドアップディスプレイを取り付け、M61A1バルカン砲を装備するなど戦闘攻撃機として大いに期待されたものだった。(このTF-41-A-1《ライセンス生産名》エンジンは、後に海軍のE型にも採用が決まった。)

 空軍が戦術攻撃機として500機近く配備したA-7Dは、その次の主力攻撃機となったA-10Aが開発 配備がされるまで戦術空軍TACの第一線で活躍したが、マートルビーチAFB、そして次のディ-ビス・モンサンAFB、最後のイングランドAFBの第23戦術戦闘航空団にA-10が行き渡るようになった頃には、余剰となった機体が次々に州航空隊にF-100等の後継機として配備が始まっていたのである。

 私と空軍A-7Dの最初の出会いはアリゾナのルーク空軍基地だった。金曜日までF-104、F-4D、F-15A/Bがひっきりなしに訓練していたこの基地、2日間の滞在を予定していた我々は翌日土曜日も撮影を期待して出かけたが 朝から基地は静まり返って何も飛ばない、まったく日曜日の航空自衛隊の基地のようであった。この基地では、教官も訓練生たちも、しっかりと週末の休みを取っていたようなので、我々も引き上げることとした。帰り支度をしている時に、着陸態勢に入った黒いシルエットが見えた・・・昨日の面々ではない、見慣れないシルエットに期待を膨らませたが、A-7コルセアではないか。逆光の中、迷彩のA-7Dを撮影はしたものの、その場ではどこの部隊かも判明せず、帰国後現像して初めて此処に紹介する飛行隊のものと分ったのである。(2002/3 記)

↑ 1980年2月 ルーク空軍基地で初めて撮影した空軍のA-7D。逆光でこのマーキングだったので、正直日本に帰国後フィルム現像して、印画紙に焼き付けるまで どこの所属かもわからないまアでいた。

↓さて このページの最後は、渡辺師匠のスライドコレクションから、撮影時期に沿って同部隊の写真を展示して行きたい。

↑ 上の2枚の写真は1975年8月にコロラド州バックレイ空軍基地(Buckley ANGB)で撮影された188th TFSのA-7D(72-0225&72-0261)。尾翼のマークはミチバシリ鳥をイメージ化したデザインで、これまで余り専門誌でも見かけなかった同飛行隊初期のマーキングとして珍しい写真である。因みにこのマークは、A-7Dの前に使っていたF-100C時代に尾翼に付けていたマークと同じデザインのものである。

↑ 1976年7月セントルイスで撮影されたA-7D/72-0245。

↑ 1977年5月に撮影されたA-7D/71-0300。この機体は、翌年5月ニューメキシコ州のソコロ市付近上空で同隊のA-7D/72-0264と空中衝突して墜落している。1976年にはニューメキシコ州旗の太陽のデザインとリアルなミチバシリ鳥を取り入れたこのマーキングが主流となっていた。

1983年5月フェアチャイルド空軍基地で撮影された188th TFS A-7D/69-6213。航空マニアにとって非常に撮りにくい暗いヨーロピアンT塗装、ヨーロッパの森林地帯での戦闘を想定したマーキングであるが、砂漠の基地でもこのマーキングが普及していたのである。

↑ 1984年5月に撮影されたA-7D。ヨーロピアンT塗装に比べれば、タンの部分が明るい為、まだ写真になる塗装でほっとする。

1988年3月 フェニックスのゲートウェイ空港で撮影されたA-7D/72-0262。A-7D最後のスキームとなるグレー迷彩。

↑ 1991年4月に撮影されたA-7D/75-0388。この機体は1992年からサウスダコタへ移動した。

↑ 1989年1月に撮影されたA-7D/74-1740

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A-7D's Page
ニューメキシコ州空軍のA-7D、この部隊は カートランドAFBをベースにしていた。カートランド空軍基地は民間のアルバカーキ国際空港に隣接した基地であるが、ランウェイなど設備は空軍の所有だそうで共有の形で運用されている。A-7の尾翼には道走り鳥(ロードランナー)が書かれていた。この部隊は、後にF-16に機種転換された。
188th TFS / New Mexico ANG

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